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ひさしぶり

このところ、というかかなり長い間、ウェブサイトのブログ更新ができず放置していました。

とにかく落ち着いてブログのテキストを書く時間を作ることができず(←自分の能力の問題)、書きたいことが頭に浮かんでは時間が経ち消えていっていました。(ブログを見に来てくださった方、ごめんなさい。)もう12月ですね。


今年は7月に東京で予定していた個展が、準備期間の緊急事態宣言による登園自粛の影響で制作が間に合わず延期となり、活動としてはやや大人しかった一年でしたが(6月のグループ展「きのふいらつしつてください」に参加できたことが大きな喜びでした!)、コロナ禍の下でも日々の生活は滞ることはなく、様々な準備が水面下で静かに進んでいます。今年の秋には娘が七五三を迎えました。自宅近くの築90年の町家アトリエの改修工事(DIY)も、少しずつですがアンティークの古道具を丁寧に手入れするように進めていて、そこでの今後の活動について考えたり友人と話したりしています。そして今は、今月(12月)中旬に控えている、石川県小松市の九谷焼窯元さんの巨大なガス窯をお借りしての大型作品の焼成の準備や段取りを進め、来年夏の個展の準備も始めています。


Covid-19の感染拡大によって曝された人間の様々な感情の動きや行動や現象、平穏な日常が実は危うい支柱に寄りかかって成り立っていたかもしれないこと(過去の災害、阪神淡路大震災や東日本大震災、熊本地震や各地の豪雨災害などで、繰り返し露呈していたこと)を、文字通り世界全体が同時的に経験することになりました。そのような世界に対して、果たして自分の作品が何か有効な物事を提示できるのか、と考えると課題の大きさに恐ろしさを感じます。


未知なものや生存の危機に対峙して生まれる強い恐怖心、その反動としての怒りや攻撃の対象となる「犯人」や物事を無意識に見つけて攻撃してしまうこと(しばしばそれは原因と関係のないところで噴出します)・・・誰の心にも生まれうるこのような感情や衝動をまず自分自身が戒め、冷静な視点を失わないこと、その恐ろしさをしっかりと自覚すること。私はこの災害を乗り越えて、他者と調和しながら安らかに過ごせる世界が実現に一歩近づくこを望んでいます。「調和」とは誰かが抑圧を受けている状態や同調圧力のうえで成り立ち得る表面的な調和のことではありません。あらゆる表現上で、様々な意見の表明やその対立、議論が身体的・心理的暴力に依らない手段によって共有されうることが調和的な世界と言えるでしょう。それは自分自身との戦いでもあります。そう考えると調和という言葉のもつ平和的、温和なイメージと、調和的世界の実践とは真逆ほど違うものかもしれません。美しい言葉は怖い言葉でもありますね。


社会的に非常に大きな出来事を前に、アートに携わる私に何ができるか。それはとても難しい問いです。

日常の日々の生活のなかで、子育てで小さな人間と向き合うなかで、あちこちでつまづき呻き声をあげています。

けれども考えることをやめない、学ぶことをやめない、表明することをやめないでいよう。

立ち止まってもよいから、生きることをやめない。と2020年の終わりを数週間後に、今このような決意でいます。


現在工事中の町家アトリエについても、遠くない将来には私個人の制作の場を越えたアーティストのみならず異なる世代や属性をもつ様々な人達との交流と議論の場のようなことをしたいと考えています。・・と大風呂敷を広げて今日の記事はお仕舞にします。

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