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​溜息の標本

作品は作者自身と、作家と私的な交流のある同年代の女性それぞれから、思い入れのある衣類を借り、彼女たちの身体や存在と非常に近いところにある、親密な衣類を手作業で焼き物に刻み、標本のように壁面に陳列した。

衣類を借りる際に、手紙とともに送った質問状で女性たちにいくつかの質問に答えてもらい、それらの質問と答えを標本ラベルというかたちで作品に融合させている。質問の内容は、名前(本人が作品のなかで公開可能とした名前の一部のみの表記やニックネームを含む)、現在の居住地域、行ってみたい土地、最近見た夢、選んだ衣類の纏わる思い出と、彼女たちの現実の私生活と無意識の世界が入り混じるような内容である。

私と同世代の、私的な関係にある女性たちは、私自身の日常や体験と強く結びついており、私にとって彼女たちの存在はある種の確かなリアリティを持っている。様々な女性の身の回りの品を標本のように集めることで、今の時代に生きているひとりひとりの女性たちの生の喜びや悩み、その息遣いや存在が、囁きのように聞こえてくる。

                                       2018年​

​わたしのひふはおもたい

衣服の皺や襞を自らの手で表現してみたいと最初に思ったのはいつだっただろうか。ポンピドゥーセンターでルイーズ・ブルジョワの大理石の襞を見たときだったか、ヨーロッパで目にした宗教画の中の衣服の夥しい皴襞との出会いだったか。柔らかく、息を吹きかけただけでその形を変えて移ろいゆく布への憧れはもっと前からあったのかもしれない。しかし私は布を作る物にはならなかった。布は私たち人間の生命といつも共にあった。私たちに最も身近な布のひとつは間違いなく衣服だろう。

私には焼き物との出会いもあった。土(粘土)は人間が手の中から、世界に関わる何らかのかたちを生み出そうとするときに、根源的な素材のひとつだと強く感じている。ざらざらとした土の肌やひび割れといった生々しい表情を見せる焼き物は、触覚など私たちの身体感覚を呼び覚ましてくれる実存的な媒体である。

肌身に近く持ち主の記憶を宿しながら儚くうつろう布の皴襞を、脆さを抱えながらも阿竹られた形象を記憶し続ける陶に私の身体を通じてうつしとる行為には、日々溢れかえる情報に翻弄され、自分自身の存在が希薄にさえ感じられる現代において、私たちの存在の核となる微かな感覚を、手ざわりの確かなものへ定着させたいという、私の無意識の欲求が潜んでいるのかもしれない。

​                         個展「コロモガエ」によせて 2018年

間―あわい―について

間と書いて「あわい」と読むこの語は、物と物の空間的な、事と事の時間な、また人と人の関係性としてのはざまという非常に多義的な意味を持つ言葉である。

脱色された布の美しさに注目するようになったのは2014年のことで、偶然漂白剤がついてしまった衣類の染みに気が付いたことがきっかけだった。この日常の体験とこれまで制作してきた彫刻作品とは対照的な布の持つ時間性への関心が結びつき、古着を脱色した作品を作り始めた。

 

集めた匿名の古着を薬液に浸して脱色していく。水のなかで揺らめきながら衣服が少しずつその鮮やかな色を失っていく様子と時間は、いつか消えていくであろう私たちの存在の記憶や生命(いのち)の時間を容易に想像させる。脱色された布地は、鮮やかさを失ってもなお美しく、存在するものが時間をかけて消えていく時間を凝縮しているかのように感じる。

 

無と有のあいだ、死と生のあいだ。脱色された衣服の表層に生じる微細な、かつての持ち主の存在の記憶と生の時間に耳を澄ませる。

​                                       2018年

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