反戦の詩

人が人を殺すことに抗う反戦の詩として、与謝野晶子の「君死にたまふことなかれ」は誰もが耳にしたことがあり、大切な人を戦地に見送る哀しみが美しいリズムにのって胸に迫ってくる。反戦の詩として私がもうひとつ思い浮かべるのは金子みすずの「大漁」。金子みすずの「私と小鳥と鈴と」は個性尊重や平等のシンボルとして取り上げられ親しまれている。私もよくよく知りもせず金子みすずの詩の世界をメルヘンチックな優しい世界と思い込んできた。しかし文芸評論家・尾形明子さんの「金子みすずの虚無」という新聞記事を数年前に読み、以来自分の存在を内側に穿つような彼女の詩の持つ深い深い孤独に興味を持つようになった。 お花が散つて / 実が熟れて、/ その実が落ちて葉が落ちて、/ それから芽が出て / 花が咲く。 さうして何べんまわったら、/ この木は御用が / すむかしら。 「季節のめぐりの中で繰り返される自然の営みに命の喜びを見るのではなく、「御用がすむ」時を待つ少女は疲れ果てている」と尾形さんは言う。また、「比較しようのない「私」と「小鳥」と「鈴」をメルヘン風に並べて「みんなちがって、みんないい」と結ばれても困るのだ。心のどこかが粟立ってブラックホールにのみこまれていくような怖れれにたじろぐ。」「二十六歳で自死した金子みすずを単なる「やさしさ」の象徴にしてしまったなら、その稀有な詩人の底知れないニヒリズムも空洞も絶望もどこかに消えてしまうだろう。」と語る。 朝焼け小焼けだ      大漁だ      大羽鰮(いわし)の      大漁だ      浜は祭りのようだけど      海の底では何万の

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