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シンプルな技法

自己啓発本のようなタイトルですが、シンプルな技法によって作られた作品に惹かれ憧れます。私が作っている作品からすると真逆じゃないかと意外に思われるかもしれません。私の作品は「技巧的」とか「技術」というところで語られることが多いです。(自分の作品が技術的に洗練されているとは思わないのですが。)私はそもそも古い壁の染みや、屋外で色褪せたプラスチック容器とか道具の佇まいなどに見惚れるような人間で、技巧的であることや技術への執着は実は少ないです。

春に福井のE&Cギャラリーで拝見した藤本由紀夫さんの個展でシンプルな技法の凄さを改めて見せつけられました。ダンボールや紙箱の中にオルゴールが仕掛けられていて、鑑賞者はオルゴールを手で巻き音を鳴らすことができます。オルゴールの歯はアーティストによって所々抜かれており、音と音の間合いにも手が加えられています。

箱の中での反響によって印象的に鳴り響く音と、ねじを巻く時の音と感触。複数のオルゴールが重なり乱れる音。ダンボールは日常的な表情を見せつつも形やラベルなど精選されたものが美しく構成されています。中には藤本さんの宛名や差出人、内容品名のラベルが残されているものもありユーモラスでもあります。この総合的な体験!

シンプルなといっても「単純な」という意味合いでは決してなく、そこには感性と知性によって計算された技巧が凝らされている。もちろん藤本さんの音楽的才能に裏付けられているのは言うまでもないのですが、その全体を統御する技術がすごいと思うのです。このような作品に出合うといつも私もいつかそんな境地に辿り着きたいなーと考えるのです。

工芸の領域では特に技術についての話を多く耳にします。(ここでお話する技術は手仕事の技術のことです)私は技術や技法は手段であって目的ではないと思っていますが、工芸に限らず新しい技法の発見によって作品が生まれるケースは多くあります。そこではその技法を用いることによって生じる感覚や、その意味と現代性への接点を考えることが重要になると思うのですが、これは西洋的なARTをベースにした考え方なのでしょう。

伝統工芸の分野で活動している友人と話をしていたら、彼曰く技術は手段ではないらしいのです。確かに工芸の世界において、まず技術がありそれを鍛錬によって洗練させ、解釈し結晶化された作品があります。単に技術や技法を受け継ぐだけでなく、現代に生きる作り手が何かしら手を加えて変化させるからには、その変化(解釈)の現代性を、工芸的な価値観だけでなく、ものの創造に関わる様々な領域から考えてみてはどうだろうと私は考えます。その辺りについて、また友人にじっくり話を聞いてみようと思います。工芸の世界には「美術」や「工芸」という概念が日本で生まれた時代の近代的な価値観と日本的な感覚が表裏一体となってくっついている部分があるように思います。ARTの物差しだけでは日本人が大切にしてきた精神や感性を見落としてしまう可能性もあります。工芸の世界すべてがアート化する必要はないと思いますが、工芸が他の領域と交感し、開かれていることも大事だと思います。工芸の世界には西欧化、アート化によって日本人が忘れかけている日本人の精神や感性が密やかに保たれているようにも思います。

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