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生命樹 -友人のハガキから-

自分の作品について誰かとじっくりと話そうという時に、思い出す私が大切にしているエピソードがある。


そのエピソードに関わる大学時代の友人から、この年始に寒中見舞いのハガキが届いた。

その葉書の写真を見て胸が熱くなった。


友人は大学時代の同じ専攻の同級生で、同じ素材コースを選んだ5人のうちのひとりだ。公立の小さな美大の一専攻のクラスメートは20人ほどと小規模で、若い学生たちは皆家族のように寄り集まって日々過ごしていた。私の記憶のなかのその友人、はフォークロア様の服を着て、好きなことおもしろいことに一直線で頑固でよく笑う可愛いらしい女性だ。


私が学部時代を過ごした美大では、専攻科全体の作品講評会(専攻の教授、学生の前でプレゼンテーションを行い、講評を受ける)の前に、各素材コース(美大では「部屋」と呼ぶ※陶磁部屋など)の教授と学生での講評があるのだが、後者の講評の際の彼女の言葉が今も忘れられない。


「どうして布は柔らかいのに、焼き物はこんなに固いんだろう・・・」と彼女は焼き物の作品を前に泣きながら、時折言葉を詰まらせながら話していた。彼女が入学したばかりの染織の素材体験で制作した作品、学内の一本の樹木にサクランボのような繊維でできたものを沢山括りつけたインスタレーション、について講評会で「私がやりたかったのは、こういうことなんです!」と目を輝かせていた姿を思い出した。彼女は糸・布が好きだった。


 母校の工芸科は入学後、一通りの工芸素材を体験した後2年次に素材コースを選択するカリキュラムなので、学生たちは手探りのなかで自分の将来を大きく左右する専攻選びを素材や考えのなかで繊細に揺れることになる。


「どうして焼き物はこんなにも固いのか」と涙しながら訴える彼女に、深く共感して私も一緒に涙してしまった。当時の陶磁専攻の教授だった久世健二先生には「どうして山本くんまで泣くんだい!」と半ば呆れながら笑われてしまった。そんな久世先生も2年前に鬼籍に入られた。とても寂しい。


どうして布は柔らかいのに、焼き物はこんなに固いのだろう。この問いは一見すると、自らの適性と専攻を読み間違えた若い学生の幼い後悔、あるいは思うようにいかない自己表現の苦しさの吐露のように思われるかもしれないし、実際にそうだったのかもしれない。でも私は彼女の言葉にもっと深い感情があるような気がして、当時も今も思い出すと胸が熱くなる。


自ら選んで目の前にあるもの、その取り組むべきものへの愛着と葛藤、そしてそれがあるからこそたどり着けないものへの憧れの気持ち。


だったらその目の前のものなどさっぱりと捨てて、思うものへと向かって行けばいいではないかと、そう思われるかもしれない。それもそうだろう。しかし、私たちの人生というのは、あらゆる可能性に開かれているようで、そのすべてのなかから最良の選択ができるわけでもないのだ。


出会ってしまうものがあり、離れられないものがある。



彼女から届いた葉書には、厚地のキルトのようなオフホワイトの生地に赤と青の糸によって刺された生命樹が、太く力強く、しっかりと地面に根を張り、生きること生命の喜びを讃えていた。


人間にとって、憧れとの間で揺れ動く苦しく甘美な葛藤もまた生きる原動力になるに違いない。20年ほどの時を経て、憧れのものを手にして生き生きと布の仕事に取り組む彼女の姿が私の脳裏に浮かび上がる。


いつか彼女の作品を見に行きたい。

私は憧れるものに辿り着けるだろうか。

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